▲三菱自動車が長くノックダウン生産していたジープに代わる4WDモデルとして1982年に登場したパジェロ。開発に関わったラリードライバーの篠塚建次郎さんの自伝によると「当初は誰も存在を知らなかったそう」です。フランスの三菱販売店の提案で1983年にパリダカに参戦し、1987年に総合3位入賞。これがキッカケで月200台程度だった販売台数が10倍になったそう ▲三菱自動車が長くノックダウン生産していたジープに代わる4WDモデルとして1982年に登場したパジェロ。開発に関わったラリードライバーの篠塚建次郎さんの自伝によると「当初は誰も存在を知らなかったそう」です。フランスの三菱販売店の提案で1983年にパリダカに参戦し、1987年に総合3位入賞。これがキッカケで月200台程度だった販売台数が10倍になったそう

“スカイライン伝説”を生んだ日本グランプリが開催

日本には様々な暦や記念日があります。そして車の世界を見渡しても多くの記念日があります。今回は4月26日から5月9日までの出来事を紹介します!

■4月27日 婦人警官記念日
■4月28日 フェルッチオ・ランボルギーニ誕生(1916年)
■4月28日 洗車の日
■5月1日 トヨタ スプリンター発売(1968年)
■5月1日 アイルトン・セナが事故死(1994年)
■5月2日 トヨタ ハイラックスサーフ発売(1984年)
■5月4日 第1回日本グランプリ決勝(1963年)
■5月7日 ホンダ アコード発売(1976年)
■5月9日 三菱 パジェロ発売(1982年)


いわゆるゴールデンウイークに差し掛かるこの時期は、モータースポーツのビッグイベントが行われていました。そこから今でも語られる伝説が生まれたことを記憶している人も多いでしょう。

▲現在、放置車両確認事務の業務は警察から委託された民間の駐車監視員が行っていますが、以前は女性の警察官が多く取り締まっていました。彼女たちはGHQの指導で警視庁が採用。初めての募集時にはたくさんの応募があったそう。彼女たちが初めて勤務に就いたのは1946年4月27日。それを記念して、4月27日は婦人警官記念日となっています ▲現在、放置車両確認事務の業務は警察から委託された民間の駐車監視員が行っていますが、以前は女性の警察官が多く取り締まっていました。彼女たちはGHQの指導で警視庁が採用。初めての募集時にはたくさんの応募があったそう。彼女たちが初めて勤務に就いたのは1946年4月27日。それを記念して、4月27日は婦人警官記念日となっています
▲ミウラやカウンタックなどの歴史的な名車を生み、日本でのスーパーカーブームの立役者であるランボルギーニ。創設者であるフェルッチオ・ランボルギーニは1916年4月28日に生まれました。幼少時代から機械好きで退役後にトラクターの製造工場を設立。その後1963年にLamborghini Automobiliを設立し、多くの名車を世に送りだしました ▲ミウラやカウンタックなどの歴史的な名車を生み、日本でのスーパーカーブームの立役者であるランボルギーニ。創設者であるフェルッチオ・ランボルギーニは1916年4月28日に生まれました。幼少時代から機械好きで退役後にトラクターの製造工場を設立。その後1963年にLamborghini Automobiliを設立し、多くの名車を世に送り出しました
▲一般社団法人 自動車用品小売業協会が制定した洗車の日。4月28日なのは、「よ(4)い艶(28)」という語呂合わせが由来だそう。暖かくなってきて水仕事が気持ちいいこの時期、愛車をピカピカにしてゴールデンウイークのドライブを楽しみたいですね ▲一般社団法人 自動車用品小売業協会が制定した洗車の日。4月28日なのは、「よ(4)い艶(28)」という語呂合わせが由来だそう。暖かくなってきて水仕事が気持ちいいこの時期、愛車をピカピカにしてゴールデンウイークのドライブを楽しみたいですね
▲1966年にデビューした初代カローラ。そのクーペモデルとして1968年5月1日に登場したのが、初代スプリンターです。カローラより全高が35mm低く設定されたスポーツモデルで、車名の由来は「短距離走者(Sprinter)」です ▲1966年にデビューした初代カローラ。そのクーペモデルとして1968年5月1日に登場したのが、初代スプリンターです。カローラより全高が35mm低く設定されたスポーツモデルで、車名の由来は「短距離走者(Sprinter)」です
▲1994年5月1日、サンマリノGPが行われたイモラサーキットのタンブレロコーナーでクラッシュしたセナ。ドクターらが懸命の救出活動を行うも、搬送された病院で帰らぬ人に。それから4日後の5月5日、母国であるブラジルで彼の葬儀が“国葬”として行われました ▲1994年5月1日、サンマリノGPが行われたイモラサーキットのタンブレロコーナーでクラッシュしたセナ。ドクターらが懸命の救出活動を行うも、搬送された病院で帰らぬ人に。それから4日後の5月5日、母国であるブラジルで彼の葬儀が“国葬”として行われました
▲ピックアップトラックであるハイラックスの荷台を覆うように居住スペースを設置したトヨタ ハイラックスサーフ。現在ではSUVと呼ばれるジャンルですが、デビュー当時はRVと呼ばれていました。三菱 パジェロや日産 テラノとともに80年代後半から始まるRVブームをけん引しました ▲ピックアップトラックであるハイラックスの荷台を覆うように居住スペースを設置したトヨタ ハイラックスサーフ。現在ではSUVと呼ばれるジャンルですが、デビュー当時はRVと呼ばれていました。三菱 パジェロや日産 テラノとともに80年代後半から始まるRVブームをけん引しました
▲本田技研工業創立者である本田宗一郎氏の号令で、1962年に完成した鈴鹿サーキット。翌1963年5月3日には、第1回日本グランプリが開催されました。翌年の第2回日本グランプリではプリンス スカイラインGTがポルシェ 904を抜きトップ走行。富士スピードウェイで開催された第3回日本グランプリではプリンス自動車のR380が優勝を飾るなど、数々の伝説が誕生しました ▲本田技研工業創立者である本田宗一郎氏の号令で、1962年に完成した鈴鹿サーキット。翌1963年5月3日には、第1回日本グランプリが開催されました。翌年の第2回日本グランプリではプリンス スカイラインGTがポルシェ 904を抜きトップ走行。富士スピードウェイで開催された第3回日本グランプリではプリンス自動車のR380が優勝を飾るなど、数々の伝説が誕生しました
▲1972年にデビューした初代シビックの上位モデルとなる3ドアハッチバックとして、アコードは1976年5月7日に発売されました。日米の排ガス規制に適合するCVCCエンジンを搭載。翌1977年には4ドアノッチバックセダンのアコード サルーンが追加されました ▲1972年にデビューした初代シビックの上位モデルとなる3ドアハッチバックとして、アコードは1976年5月7日に発売されました。日米の排ガス規制に適合するCVCCエンジンを搭載。翌1977年には4ドアノッチバックセダンのアコード サルーンが追加されました
text/高橋 満(BRIDGE MAN) photo/トヨタ、日産、ホンダ、三菱、福嶌弘(編集部)