フェラーリ アマルフィ▲少量生産ブランドであるフェラーリは宣言どおり、2+2のFRクーペ「アマルフィ」(写真)をはじめ6つのニューモデルを発表した

2025年も終わりに近づいてきたが、筆者の感想はまさに明日は何が起こるかわからないというエキサイティングな1年であった。

記事を書いていても、それが世に出るまでのタイムラグの間に、さらに上書きするような事件が起きたりするからなんとも難しい。近年、特に新車発表などの情報は、そのインパクトを考えサプライズ的に出す傾向が強いからなおさらだ。

さて、そんな2025年のスーパーカー界における3大トピックを独断でセレクトしてみた。
 

 

トピック①:1年間に6つのニューモデルを発表したフェラーリ

フェラーリ 296スペチアーレ▲4月に公開された、296GTBのハイパフォーマンスモデル「296スペチアーレ」。3L V6ツインターボとモーターを組み合わせ、システム最高出力880psを誇る

年間生産台数1万3752台(2024年)という少量生産ブランドであるにも関わらず、年間6車種ものニューモデルの投入を宣言し、それを実現してしまったフェラーリはすごい!

少量生産ブランドだからできたのだろうと思われる方がおられるかもしれないが、それ以上にフェラーリはぎりぎりのマンパワーで回っている企業だ。

特に市販車には各マーケットのホモロゲーションへの対応などやらねばならない仕事は激増しているから、そう簡単なことではない。こういった体制を創業時より維持してきたフェラーリだからこそできた荒業なのだ。

発表された6モデルは下記のとおりである。

296スペチアーレ
296スペチアーレA
アマルフィ
849テスタロッサ
849テスタロッサスパイダー
SC40(ワンオフモデル)

さらに来春発表予定の“エレクトリカ(仮称)”のシャシー、パワートレインも発表したワケであるから、6台と2分の1というのが正確であるかもしれない。

さらに10月のフェラーリ・キャピタル・マーケット・ディにてヴィーニャCEOは「2026年から2030年の間に、年間平均4モデルの新型車を発表予定」と述べているから、フェラーリの“多モデル展開はするが、各モデルの生産台数は抑える”という希少性重視の戦略は変わらないとう発言をしている。

ちなみに、この戦略を無理なく行うためにe-ビルディング内にアッセンブリーラインを増設しているから、その準備も順調ということであろう。
 

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トピック②:主要生産拠点をモデナへ里帰りさせたマセラティの決断

マセラティの本社と工場▲モデナ市街地に隣接するマセラティの本社と工場。モデナで培われたヘリテージでブランドをアピールする

2つ目は紆余曲折の末、モデナ本社工場へと主要生産拠点を里帰りさせたマセラティの決断である。

マセラティは1939年、モデナ市街地に本社工場を設けたが、その後生産規模の拡大に対応するため、2013年にトリノの旧ベルトーネのグルリアスコ・ファクトリーを買収し4ドア系の生産をスタートした。

しかし、このファクトリーは車高の高いモデルへの対応が難しかったこともあり、2016年にFCA(現ステランティス)所有のミラフィオーリ・ファクトリー内にレヴァンテ用のアッセンブリーラインを増設した。この2016年当時はマセラティの生産量は歴代ピーク。年間4万台を超えていたのだ。従来のモデナ工場、グルリアスコ、ミラフィオーリという3つのファクトリーが当時は稼働していたのだ。

しかし、その後、販売台数も落ち着き、効率化のためにマセラティはミラフィオーリ工場への生産拠点の集約への道を選んだ。2020年にはグルリアスコ工場を閉め、2022年からは新型グラントゥーリズモ(グランカブリオ含む)の製造拠点も従来のモデナからミラフィオーリ工場へと移管された。

大量生産への対応という点では理にかなった経営判断であったのだろうが、ブランドを代表する主力モデルが、フィアットブランドの大衆車と同じ工場で生産されるという点において、辛辣なファンの意見も聞かれた。

そして、クアトロポルテ、ギブリの生産が終了したことで、効率という点においても有利とはいえなくなってしまった。巨大なミラフィオーリ工場で作られるのが当面、グラントゥーリズモ系のみとなってしまったのだ。
 

モデナ本社工場▲本社工場にはグラントゥーリズモとグランカブリオの生産ラインが復活している

そこでマセラティは決断した。ミラフィオーリ工場のラインを廃止して、グラントゥーリズモ系をモデナ工場で作ろうと。

これは、モデナを聖地と考えるマセラティスタにとってグッドニュースだ。しかし、多額の投資を行ったグルリアスコ、ミラフィオーリの両工場をごく短期間使っただけで捨て去ってしまうとは! これには驚いたが、それはマセラティが“身売り”することはなく我が道を行くという決心の表れであろう。
 

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トピック③:存在自体がマジックのジョルジェット・ジウジアーロ御大

ジウジアーロ・ファミリー▲ジウジアーロ・ファミリーのジョルジェット(右)とファブリツィオ(左)

最後はジョルジェット・ジウジアーロ御大。

今年は彼の代表作のひとつでもある、マセラティ・ブーメランへのオマージュたるワンオフモデル、ペラルタSを発表したり、来日時には元気な顔を見せてくれていた。
 

ペラルタS▲ジウジアーロ・ファミリーが設立したGFGスタイルによるワンオフのスーパーカー「ペラルタS」

ところが8月に“サルデーニャのワインディングを御大が運転中、道を飛び出して崖下へ突っ込み車は大破、御大は重症”、というニュースが飛び込んできたではないか。

なにせ御年86(事故当時)だ。もう、彼のスケッチを見ることはできないのか、と大きなショックを隠せなかった。そして何よりトライアルバイク・マニアの御大のことだからその楽しみもお預けとは、あまりにかわいそうだ。筆者はその少し前、彼の生まれ故郷であるトリノ近郊ガレッシオでトライアルバイクにまたがる御大の姿を見ていたからなおさらである。

ところがである。息子のファブリツィオからは“2ヵ月くらいすれば裏山を走ってるんじゃないの”なんていうコトバが返ってきたと思ったら、事故から3ヵ月もしないうちにイベントに参加してニコニコしている写真が送られてきた。

ユニークで美しいスタイリングと実用性を考慮したパッケージングの妙をジウジアーロ・マジックと称すが、筆者に言わせれば、彼の存在自体がまさにマジックそのものではないか。恐ろしき体力の87歳(現在)である。
 

文=越湖信一、写真=フェラーリ、マセラティ、GFGスタイル
越湖信一

自動車ジャーナリスト

越湖信一

年間の大半をイタリアで過ごす自動車ジャーナリスト。モデナ、トリノの多くの自動車関係者と深いつながりを持つ。マセラティ・クラブ・オブ・ジャパンの代表を務め、現在は会長職に。著書に「フェラーリ・ランボルギーニ・マセラティ 伝説を生み出すブランディング」「Maserati Complete Guide Ⅱ」などがある。