ランボルギーニ ミウラ▲1966年に登場したスーパーカーの始祖ともいうべき名車「ランボルギーニ ミウラ」。デビュー60周年となる2026年には記念イベントなどが予定されている

スーパーカーという特殊なカテゴリーはビジネスモデルとして非常に面白く、それ故に車好きにとって興味深いエピソードが生まれやすい。

しかし、あまりにも価格がスーパーなため、多くの人はそのビジネスのほんの一端しか知ることができない。今回は2026年の今年、デビュー60周年を迎えるスーパーカーブームの幕開けを担った名車「ミウラ」に注目する。
 

2026年のランボルギーニはミウラ一色に!

今年のランボルギーニはミウラ一色になるであろう。なぜならランボルギーニはすでに昨年、2026年にはデビュー60周年を迎えるミウラを祝して多くの記念イベントの開催を行うと宣言しているからだ。

ミウラはデビュー前年となる1965年11月のトリノモーターショーにて、4L横置きミッドマウントV12エンジン搭載のベアシャシーをサプライズ公開するという、当時としては斬新なディザー告知を行った。

その時点でも大きな反響を呼んだが、やはりマルチェロ・ガンディーニの筆による美しいボディをまとってミウラとしてアンベールされた瞬間こそが、ランボルギーニ躍進のスタートとなる重要なポイントであり、スーパーカーブームの幕開けでもあった。
 

ランボルギーニ ミウラ▲1965年のトリノモーターショーで公開されたのは、V12エンジンをリアミッドに搭載したシャシー“TP400”であった

当時のラグジュアリースポーツカー・マーケットを振り返ってみれば、フェラーリを代表とするレースカーを公道仕様へとコンバートしたような、限りなくコンペティションモデルに近いモデルと、マセラティやアストンマーティン、そして創業期のランボルギーニが目指したような、快適性を重視したツアラー、すなわちGT=グラントゥーリズモに二分されていた。

そのマーケットにイノベーティブなエンジニアリングと、あたかも小排気量スポーツカーが挑戦し始めていたような、低く幅広い異次元のアピアランスをもったボディを組み合わせ、新しいジャンルを切り開いたのが、ミウラなのだ。
 

誰もやったことのない挑戦をすべて盛り込んだ車作り

ランボルギーニ ミウラ▲ミウラを生み出したパオロ・スタンツァーニ(左)、マルチェロ・ガンディーニ(中)、ジャンパオロ・ダラーラ(右)

ジャンパオロ・ダラーラとともにミウラの開発を担当したパオロ・スタンツァーニは当時、弱冠27歳。その彼が主にボディをはじめとするスタイリングまわりを担当するのだが、ダラーラはミウラの発売を待たずにランボルギーニを退社してしまう。

そして、20代のパオロがすべての開発の責任者となるだけでなく、まもなくCEOとして会社のかじ取りすべてを任されることになる。創業者フェルッチョ・ランボルギーニとは大胆な決断をする人物なのだ。

「伝統のない私たちができることは、未来を作ることだった」とはパオロが晩年のインタビューで筆者に語ってくれた。ジャンパオロとパオロはレース界を席巻したフォード GT40に心酔しており、イギリスのレース界でトレンドであったモノコックボディをランボルギーニの地元モデナで何とか作り上げようと挑戦した。

さらにまだ小排気量スポーツカーのみのマーケットに出ていなかった、先端のミッドマウントエンジン・レイアウトを果敢にも4Lエンジンで取り組んだ。

こんな誰もやったことのない挑戦をすべて盛り込んだ車作りをするということは、経験者であれば決してチャレンジしないことだった。
 

ランボルギーニ ミウラ▲ミウラは1966年のジュネーブショーで公開、2026年がデビュー60周年にあたる。写真は1971年に登場した最終型のP400SV

そんな経験の少ない若者たちが進めるプロジェクトにGOを出し、その1人をCEOに任命してしまうフェルッチョとはいったいどういう人間なのであろうか。

エンツォ・フェラーリとフェラーリGTの品質をめぐって大ゲンカしたり、全身青ずくめのスーツをまとってディスコで若い女の子を追いかけたりと、破天荒なエピソードが残されている彼のことだ。さぞケンカっ早くて、向こう見ずな人物かと思いきや、実はかなり慎重で緻密な計算をするオトコであったようなのだ。

こういったエピソードも、メディアにランボルギーニというブランドを注目させるための戦略だったというし、ミウラの開発もここで方向転換しないとランボルギーニの自動車事業に未来はないと考え、技術に明るい若者に経営判断をさせなければと合理的に決断した。彼の一見向こう見ずに見える判断も、実は相当に思慮深いリサーチの末、生まれたことであるようなのだ。

フェルッチョの読みは、当たった。ミウラは世界中に大きなムーブメントを作ったのだ。そして、その顧客層はそれまでスポーツカーにあまり興味のなかった富裕層にまで広がった。

イタリアでは「ミウラ・カフェ」が誕生し、ファッションショーにもミウラが登場した。まさに世界はスーパーカーの誕生を見たのだった。フェルッチョのこの60年前の判断が、まさにランボルギーニを偉大な自動車ブランドへと成らしめたのだ。
 

ランボルギーニ ミウラ▲リアウインドウに代わりルーバーが用いられているのも特徴のひとつ。SVはワイドトラック化によりリアフェンダーが拡大している
ランボルギーニ ミウラ▲独立2眼メーターに加え、センターコンソールには水温や油温などの6つのメーターが並んでいる
ランボルギーニ ミウラ▲1967年から販売されたP400。1968年末には改良型のP400Sへと進化を果たした
ランボルギーニ ミウラ▲4L V12エンジンをリアミッドに搭載。改良が重ねられ、最高出力は350psから385psまで向上している

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文=越湖信一、写真=アウトモビリ・ランボルギーニ
越湖信一

自動車ジャーナリスト

越湖信一

年間の大半をイタリアで過ごす自動車ジャーナリスト。モデナ、トリノの多くの自動車関係者と深いつながりを持つ。マセラティ・クラブ・オブ・ジャパンの代表を務め、現在は会長職に。著書に「フェラーリ・ランボルギーニ・マセラティ 伝説を生み出すブランディング」「Maserati Complete Guide Ⅱ」などがある。