煩悩寺和尚のドライビングマナーに喝っ!

喝っ!


道の合流は人の交わりなり。人は新たな人と交わりを求めるとき、交わりたい相手に心を合わせる。男女の関係、これ然り。相手を観察し、心の隙間に入り込む。そして相手の心の流れに己を合わせ、手に入れ無事交際。手に入れてしまえばこちらのもの、煮るなり焼くなりやりたい放題し放題。・・・おっと、拙僧としたことが、話がそれた。
 さまざまな道の合流地点で、日々見かける合流渋滞。原因もさまざまであり、特に目につくのが側道からの車が合流する接点で、本線に気を取られ減速もしくは停車している風景なり。大前提、きちんと停まり安全に合流すべし。路肩を走り、強引な割り込みをする輩にはかかわるべからず。そして、合流の極意とは、まずは本線の状況を瞬時に、そして確実に読むことある。そのために己の目でしっかりと見て本線上の入れる隙間と流れを確認して、徐々にそして十分に加速をしてドアミラーでその隙間を再確認し、速やかに入れていただく。

あくまでも、「入れていただく」。そうなのである、人の気持ちも車の流れもお互い一歩引いた気持をもつことがうまくいく極意なり。急ハンドルや急加速、ウィンカーを出さずに行う合流は、犯罪に等しい。己がやられてムカッ・イラッとしたりすることは人も同じ。やがて大きな「怨」となって我が身に降りかかること間違いなし。「怨」を溜めないための極意は、スムーズな合流を心がけ、たった数回のハザートランプの点滅やちょっと手を挙げる挨拶である。
本線という大きな流れの先に目的地があるのだから、これに乗らなくてはならない。そのために己や他人が、ちょっとしたイライラを蓄積して、ラフな運転になるのは損であることを知るべし。自動車社会は人間社会、人の振り見て我が振り直せ!

合掌っ!


Text/煩悩寺和尚 Illust/叶雅生