WRC▲ラリーに精通した自動車ライターの青山朋弘氏が往年のラリーカーを2回に分けて紹介。1回目は80~90年代のグループA

最近では、SNSで流れてくる昔のグループAカーが走っているリール動画ばかり見ています。ラリー好きの自動車ライター青山朋弘です。

昔のラリーカーってカッコよかったですよね! 今でもアイドルみたいな存在で見入ってしまいます。
 

WRC

ラリーカメラマンとして1970年代の創成期から2000年代半ばまでWRCの撮影をしていた佐久間健氏とそんな話をしていたら、「オレ、昔撮ってたから写真見る?」と秘蔵品をいろいろ見せてくれました。どれもこれもカッコいい写真ばかり。90年代のラリー好きの人には思いっきり刺さるのではないでしょうか。

というわけで、今回と次回の2回に分けてそれらの秘蔵写真を大放出。当時のエピソードとともに主要モデルを紹介していきます。佐久間氏がWRC(世界ラリー選手権)へ撮影に行っていたのは、1980~2000年代まで。ちょうど日本車が台頭してきて、大活躍していた頃です。

カテゴリーで言うと、「グループB」から「グループA」に変わり、WR(ワールドラリー)カーにトップカテゴリーが変わっていった時期。初回の今回は、90年代のグループAをお届けします。
 

 

「グループA」とは?

グループAを簡単に説明すると、市販車をベースにした競技車両のカテゴリーです。許されている改造範囲はあまり広くなく、搭載エンジンの型式変更やサスペンション・駆動方式の構造変更、ボディの改造などが禁止されていました。

WRCでのトップカテゴリーがグループAになる以前は、改造なんでもOKの実質プロトタイプだったグループBでした。グループAは、このグループBのひとつ下のカテゴリーとして設けられた経緯があります。

だから改造範囲が制限されていたんですね。1986年でグループBが廃止になると、WRCトップカテゴリーは翌年からグループAへと変わりました。

以降ではグループA時代に活躍していた主要モデルを紹介してきます。
 

 

ランチア デルタ

WRC

ラリーを勝つために専用設計された、ストラトスやラリー037、デルタS4などと違い、当時の市販車ラインナップからラリーベース車に選ばれた、ラリー帝国ランチアの最終兵器です。

グループAがトップカテゴリーとして始まった1987年の初戦ラリー・モンテカルロから参戦し、マニュファクチャラーズタイトルを獲得。その後、いまだに破られない前人未到のタイトル6連覇を達成しました。
 

WRC

グループAのデルタは、87年のデビューから93年の撤退までその都度進化を繰り返し、日本メーカーなどの後発ワークスカーに対抗してきました。

その変遷だけでも、HF 4WD→インテグラーレ→インテグラーレ 16V→HF インテグラーレ(エボリツィオーネ)と大きく4回の進化が見られます。
 

WRC

「私は87年のRAC・ラリー(現ラリー・GB)に取材に行きましたが、いちばん目についたのはマルティニカラーのランチア デルタでした。こんなカッコいい車があるんだと、感激したことを覚えています」

「ランチアはそれからインテグラーレ、16V、エボリツィオーネ、とバージョンアップしましたけど、そのたびにどれもカッコいいと感じていましたね。」(佐久間氏)
 

▼検索条件

ランチア デルタ(初代) × 全国
 

トヨタ セリカGT-Four

WRC

ランチア デルタの独走にストップをかけた急先鋒は、トヨタ セリカ GT-Fourでした。

トヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)が開発した初代GT-Four(ST165型)は、88年の第5戦ツール・ド・コルスでWRCデビュー。初戦こそ総合6位完走に終わりましたが、続く第6戦のアクロポリス・ラリーで早くもステージウインをマークし、徐々にその速さを見せ始めます。
 

WRC

翌年の第10戦ラリー・オーストラリアでWRC初優勝を飾ると、ランチアと熱戦を繰り広げることになります。

89年にチームへ加入したカルロス・サインツを中心に開発は進められ、90年にはトヨタに初のWRCタイトル(ドライバーズチャンピオン)がもたらされました。
 

WRC

その後、ベースモデルのモデルチェンジに伴いST185→ST205とモデルが切り替わりましたが、エンジンも含めた基本のメカニズム系は踏襲。93年には日本車初のWRCマニュファクチャラーズタイトルを獲得し、総タイトル数は、ドライバーズ3回、マニュファクチャラーズ2回とグループAで一時代を築き上げました。

WRCでは通算30勝を挙げ、95年で撤退。その技術の多くは、97年にデビューするカローラWRCへと受け継がれていきます。
 

▼検索条件

トヨタ セリカGT-Four(6代目) × 全国
 

マツダ ファミリア GT-X

WRC

海外名の323でエントリーしていたマツダですが、グループAクラスへはどの日本車よりも早く本格参戦していました。

WRCに出場し始めたのは、まだグループBが走っていた86年。初戦のラリー・モンテカルロに、マツダ・ラリー・チーム・ヨーロッパが2台の323を送り込みました。
 

WRC

当時、国産車初のフルタイム4WD搭載として話題となった、6代目ファミリアGT-XがベースのグループAファミリア。4WDの性能をアピールするには、スノーラリーのスウェディッシュは絶好の舞台となります。

参戦2年目の87年には、スウェディッシュを早くも制覇。他のWRCイベントでも、ライバルより非力な1.6Lエンジンというハンディをものともせず、たびたび入賞することがありました。
 

WRC

市販モデルが89年に7代目へとフルモデルチェンジすると、WRCベース車もそれに合わせ1.8Lターボへ排気量をアップ。しかし、よりトルクの太い2.0Lを積んだライバル勢にはなかなかかなわないラリーも多く、90年以降未勝利のまま92年にマツダはWRCワークス活動の撤退を決めます。

WRCでの通算勝利数は87年と89年に記録したわずか3勝でした。しかし、市販車により近いグループNクラスでは活躍を見せ、89年と91年にはドライバーズチャンピオンを獲得しています。
 

▼検索条件

マツダ ファミリア GT-X(6代目) × 全国
※流通状況により物件が表示されない場合があります。
 

BMW M3

WRC

初代M3(E30型)のグループAカーは、どちらかというとラリーよりもサーキットで活躍したモデルです。

WRCにはグループA初年度の87年から登場。のちにスバルのワークス活動を一手に引き受けたイギリスのレーシングコンストラクター「プロドライブ」が制作したM3は、特にターマックラリーで速さを見せました。

4WD全盛期に活躍した数少ないFRラリーカーです。
 

WRC

87年のツール・ド・コルスでは、WRCで唯一となる総合優勝を飾りますが、その後は4WD勢に対抗できず数回ポディウムを獲得する程度のリザルトしか残っていません。

WRC以外では、ヨーロッパ各国のラリー選手権で活躍。ベルギー、フランス、スペインなどで年間王者に輝きました。
 

▼検索条件

BMW M3(E30型) × 全国
※流通状況により物件が表示されない場合があります。
 

三菱 ギャラン VR-4

WRC

87年にフルモデルチェンジを受け6代目となったギャランには、2Lターボの名機「4G63」エンジンにフルタイム4WDを組み合わせた、最上級グレードのVR-4が設定されました。このVR-4をベースに、三菱はWRCのグループAへ参戦を始めます。

開発はラリーアート・ヨーロッパ(RAE)が中心となり、デビューは翌88年の第8戦ニュージーランドでした。
 

WRC

その後はWRCだけでなく日本国内ラリー、APRC(アジア・パシフィック選手権)など様々なラリーで熟成を重ね、翌89年の第9戦1000湖ラリーには早くもWRC初勝利を挙げました。

アリ・バタネン、篠塚健次郎、ジミー・マクレー、ケネス・エリクソン、トミ・マキネンなどの名手によってその後も開発は進み、WRCでは通算6勝を記録。93年を最後にその役割を、よりコンパクトなボディのランサーエボリューションに受け継ぎました。
 

▼検索条件

三菱 ギャラン VR-4(2代目) × 全国
※流通状況により物件が表示されない場合があります。
 

スバル レガシィ RS

WRC

それまでもレオーネなどでラリー活動をしていたスバルが、本格的にWRCへ参戦するようになったのはレガシィからでした。

88年にモータースポーツのワークス活動を担うSTiを設立すると、90年にはイギリスのプロドライブとの提携を発表し本格的にラリー参戦を始めます。
 

WRC

WRCには90年の第4戦サファリでデビュー。参戦初年度はアクロポリス、1000湖、RACなどのヨーロッパラリーを中心にスポットでエントリーし、翌91年からシーズンフル参戦をします。

開発は順調に進んでいき、マルク・アレンやアリ・バタネンなどの名ドライバーを擁してランチアやトヨタに割って入るリザルトも残せるようになってきました。しかし、スバルのWRC初勝利を挙げたのはこの2人のレジェンドではなく、若き日のコリン・マクレーでした。
 

WRC

プロドライブに早くから見いだされたマクレーは、最初はWRCではなくイギリスの国内選手権へレガシィで、91年より参戦を始めます。そしてその年に年間4勝を挙げいきなりチャンピオンを獲得すると、翌92年も連覇。

一方で、92年からは並行してWRCへも参戦を開始します。第2戦のスウェディッシュで2位を獲得するとその後のラリーでも入賞を重ねていきました。そして、93年の第8戦ニュージーランドで初勝利を挙げます。これはマクレーにとってもWRC初勝利となり、のちにスバルでワールドチャンピオンとなる名ドライバーへと成長していきました。
 

WRC

「レガシィは自分でも購入して乗っていたくらい好きな車でした。ラリーの現場では、カラーリングが特徴的でカッコよかったことが印象的でしたね。最初はSTiカラーで登場してこれもいい感じでしたが、レガシィにいちばんマッチしていると思ったのはロスマンズカラーでした」

「93年からは、のちにインプレッサでも採用された555カラーになりましたが、私はあまり好きではなかったです。天候によっては撮りにくいんですよね(笑)」(佐久間)
 

▼検索条件

スバル レガシィ RS(初代) × 全国
※流通状況により物件が表示されない場合があります。
 

日産 パルサー GTI-R

WRC

日産が「R」を付けたと当時話題になったパルサーのスペシャルグレードは、WRCに参戦するためのホモロゲーション(認可)モデルでもありました。

ニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパ(NME)が開発を担い、WRCには91年の第4戦サファリ・ラリーから参戦。第6戦アクロポリス、第9戦1000湖、第14戦RACにスポットで出場し、翌92年からもヨーロッパのイベントを中心に参戦しました。
 

WRC

軽量・コンパクトなボディに、2Lターボ+4WDを搭載。

ラリーには最適と思われたパッケージングでしたが、スティグ・ブロンクビストやトミ・マキネンのような名手が操っても思うようなリザルトは残せず、ベストリザルトは92年第2戦スウェディッシュでの総合3位。WRC未勝利のままNMEは92年を最後にトップカテゴリーから撤退する決断をしました。
 

WRC

その後、NMEのラリー活動はトップの4WDカーではなくFFのキットカーへと移行。アルメーラ(日本名パルサー)やマイクラ(同じくマーチ)にブリスターフェンダーを付けたワイドボディのラリーカーでヨーロッパ各地のラリーに参戦しました。
 

▼検索条件

日産 パルサー GTI-R(初代) × 全国
※流通状況により物件が表示されない場合があります。
 

スバル インプレッサ WRX

WRC

レガシィよりもコンパクトなボディのラリーカーを望んでいたスバルとプロドライブが、93年に投入したのがインプレッサWRXでした。

WRCデビューは、マクレーがWRC初勝利を飾ったニュージーランドの次戦、第9線の1000湖ラリー。地元フィンランドの2人、アリ・バタネンとマルク・アレンに託されたインプレッサは、なんとバタネンがいきなり2位を獲得します。
 

WRC

翌94年からはWRCフル参戦を開始。この年から、トヨタでチャンピオンを獲得しているサインツが加入しました。インプレッサのWRC初優勝は、そのサインツが第5線のアクロポリスで達成。

その後も順調に開発は進み、95年には全8戦中5勝を挙げ悲願のマニュファクチャラーズタイトルを獲得します。この年はマクレーもドライバーズタイトルを獲得し、ともに初タイトルとなりました。
 

WRC

翌96年にもマニュファクチャラーズタイトルを獲得したインプレッサは、グループA時代最強の存在として、97年から始まるWR(ワールドラリー)カーにその技術を継承していきます。

「インプレッサといえば、やっぱりマクレーの印象が大きいですね。94年くらいから走りがさえわたってきていて、ヘアピンの侵入は車がどっちに行くのかわからないほどでした」

「あるラリーでS字コーナーのイン側で撮影していたら、マクレーはそのS字をまっすぐ通過したんです。つまりイン側はすべてショートカット。私の後ろを走り抜けていきましたよ(笑)。とにかく楽しくてスリリングな走りを披露してくれましたね」(佐久間)
 

▼検索条件

スバル インプレッサ WRX(初代) × 全国
 

三菱 ランサーエボリューション

三菱のワークス活動を担うRAE(ラリーアートヨーロッパ)は、ライバルと比べボディが大きいギャランではなく、よりコンパクトなボディのベース車に変更することを望んでいました。そこで白羽の矢が立ったのがランサーです。

ギャランよりもひと回り小さなボディに、パワートレインはギャランと同じ2Lターボ+4WDを搭載。特別な競争力をもつ証しとして、車名にエボリューションが加えられました。
 

WRC

WRCには93年の開幕戦モンテカルロから投入され、いきなり4位、6位入賞と幸先のいいスタートを切ります。

RAEは、まず初年度はスポット参戦を選択し、翌年からフル参戦を始めました。以後ランサーエボリューションは毎年のように進化していき、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳと数字が増えるごとに新しくなっていきます。
 

WRC

RAEは三菱のもつ4WD技術を惜しみなくランサーに投入していきました。アクティブデフをはじめとする四輪の電子制御技術は、三菱がどこよりも早く開発しWRCに投入したものです。

フロント、センター、リアすべてのデフをアクティブ化した“トリプルアクティブ”も、三菱が最初に完成させました。エースドライバーのトミ・マキネンが96年にドライバーズタイトルを初戴冠すると、そこから4年連続でタイトルを防衛する前人未到の快挙を達成しました。
 

WRC

97年にWRCのトップカテゴリーは、グループAからWRカーへ移行しますが、RAEはグループAのまま戦い続けました。そして、98年には三菱にとって初となるマニュファクチャラーズタイトルを獲得。WRカーにも勝った最強のグループAラリーカーとして後世に名を残すこととなりました。
 

WRC

「三菱はランサー、マキネンの組み合わせで好成績を収めてきました。あの当時、コース幅ギリギリまで使って走るマキネンと、スバルのマクレーは別次元のドライバーと言われていましたが、その走りは実際に見ると正反対」

「路面をきれいにトレースするマキネンに対し、マクレーは見ている者を楽しませる走りだったのです。ステージ脇の観客は、インプレッサ&マクレーの走りでいちばん盛り上がっていましたね」(佐久間)
 

▼検索条件

三菱 ランサーエボリューション(初代) × 全国
※流通状況により物件が表示されない場合があります。
 

フォード エスコート RSコスワース

87年のグループA初年度からシエラ RSコスワースでWRCに参戦してきたフォードでしたが、サーキットでの成功とは裏腹にラリーフィールドでは王者ランチアの牙城をなかなか崩せませんでした。

そこで他のマニュファクチャラー同様、全長4.5m級のシエラからよりコンパクトなエスコートへとベース車を変更することになりました。

市販車のエスコートには4WD仕様が設定されていなかったため、ホモロゲ取得のためにエボリューションモデルを制作。それが、巨大リアスポイラーを装着したエスコート RSコスワースでした。
 

WRC

エスコート RSコスワースは、全長4.2mのコンパクトハッチバックボディにシエラ譲りでもあるコスワース製の2Lターボエンジンと4WDシステムを搭載。

93年開幕戦のラリー・モンテカルロでデビューし、いきなり2-3位のポディウムを獲得します。当時はトヨタ セリカの2代目GT-Four(ST185型)がWRCでは最速を誇っていましたが、その中でもポルトガル、コルシカ、アクロポリス、サンレモ、カタルニアで勝利を挙げ、シーズン13戦中5勝とトヨタに次ぐ戦績を参戦初年度で残しました。
 

WRC

しかしその後は、トヨタに加えスバル、三菱の日本メーカーが台頭し次第に勝利から遠のくようになります。翌94年は、モンテカルロと1000湖の2勝のみしか挙げられず、95年は未勝利。

96年はインドネシアでの1勝のみで、WRCトータル8勝の戦績を残し、97年からWRカーへと移行します。
 

▼検索条件

フォード エスコート RSコスワース(初代) × 全国
※流通状況により物件が表示されない場合があります。
 

【番外編】 F2キットカー

WRC

グループAは市販車をベースにする規定のため、4WDターボカーが常識となったWRCでは、4WDのベース車を持たないメーカーが参戦できませんでした。

もっと多くのメーカーを参戦させてWRCを盛り上げたかったFIAは、二輪駆動でもトップカテゴリーに匹敵できるような性能をもったクラスを93年に新設します。それが「F2キットカー」でした。
 

WRC

F2キットカーは、グループA規定の派生として設定されました。二輪駆動であることに加え、2LまでのNA(自然吸気)エンジンを使用しなければならず、ボディもグループAと同様に市販車と同じモノコックの使用が前提でした。

しかし、4WDターボのグループAに比べより範囲の広い改造が許されていたため、WRCにおいても時折4WDターボ勢をしのぐ速さを見せる場面がありました。
 

WRC

改造範囲の拡大の中でも、1820mmまで許されたボディ拡幅と960kgに設定された最低重量は特に影響が大きく、プジョー 306 Maxi(マキシ)やシトロエン クサラ キットカーは、WRCのターマックラリーにおいて総合優勝争いをするにまで至りました。
 

WRC

プジョーとシトロエンの台頭はWRカー規定に移行した97年以降ということもあり、WRカーで参戦するマニュファクチャラーからは大きな反感を買うことになります。

その後は最低重量が引き上げられ戦闘力を失い、やがてF2キットカーは表舞台から姿を消していきました。
 

WRC

しかし、WRCのトップチームを駆逐してしまうほどの速さと、2L NAエンジンの甲高いサウンドは世界中に大きなインパクトを与え、特にプジョーとシトロエンは大人気を得ます。

以後、両メーカーともにWRカーで参戦し、大きな成功を収めることとなりました。

さて、ここまではグループAの時代を中心に紹介してきました。日本車の強かったWRCは、この後WRカー創成期まで続きます。次回は、そのWRカーの写真とともにお送りします。
 

文/青山朋弘、写真/佐久間健
松本英雄(まつもとひでお)

自動車ライター&エディター

青山朋弘

カーセンサー、カーセンサーEDGEの他、新車専門誌、モータースポーツ専門誌などの編集部を経て、現在フリーランスで活動する自動車ライター&エディター。愛車の1990年式ユーノス ロードスターへ、趣味のMTBとラジコンをいかにして積むか、常に試行錯誤中。

この記事を読んでいる人にオススメの動画