“フェラーリV8モデル”の成功は50年前に誕生した308GTBの紆余曲折にはじまる【スーパーカーにまつわる不思議を考える】
2025/03/19

スーパーカーという特殊なカテゴリーはビジネスモデルとして非常に面白く、それ故に車好きにとって興味深いエピソードが生まれやすい。しかし、あまりにも価格がスーパーなため、多くの人はそのビジネスのほんの一端しか知ることができない。今回はちょうど50年前に登場した308GTBが紆余曲折を経て“フェラーリV8モデル”の地位を確立させたいきさつを振り返ってみよう。
スーパーカー受難の真っ只中に登場した“派生モデル”
全世界の自動車産業に突然襲いかかった1972年のオイルショック。その破壊力はとてつもなく強力であった。なんといってもガソリンが供給されないのである。そんな中で趣味のためだけに存在するスーパーカーは、その存在自体が全否定されることとなった。
もちろんオイルショックが波及したのは車の世界だけではなかった。世界中で工業生産が大きく落ち込み、社会不安が大きくはびこった。スーパーカーの顧客の多くはその経営者たちであったから、それを所有しているだけでも、暴徒に襲われかねなかった。スーパーカーメーカーは雇用確保のため、ファミリーカーの製造を請け負ったり、トラクターのキャビンを作ったりしたこともあったのだ。
そんなオイルショックによってスーパーカーブランドの業績は低迷し、マセラティは親会社のシトロエンの経営破綻から資産凍結状態となったし、ランボルギーニも破綻は秒読みであった。そんな年が1975年であり、それは308GTBが誕生した年でもあった。スーパーカーマーケットとして最悪のコンディションの下に生まれたのだ。

“ディーノ”308GTBは1973年にデビューしたベルトーネ・デザインのマルチェロ・ガンディーニによる2+2モデル、308GT4の派生版でもある。それと同時に、ディーノ 246GTの4シーターモデルというポジションでもあった。
1968年にフィアット傘下となったことで変化したフェラーリの社内力学により、専属カロッツェリアたるピニンファリーナの手を離れて久方ぶりにデザインされた308GT4は大変合理的にデザインされた傑作であるが、そのウエッジシェイプの直線的スタイリングは、それまでの豊かな曲線を生かしたフェラーリロードカーのスタイリングとは大きく異なっていた。この時期は、排ガス規制、衝突安全基準の強化への対応から、北米市場へ向けての主力モデルがこの308GT4であったのだが、マーケットの反応は否定的であった。デザインDNAがピニンファリーナによるモデルとあまりに違いすぎたのだ。
一方、308GTBはスタイリング面でも高い評価を受けた。そのイメージは先行したフラッグシップたる365GT4/BBのモチーフを受け継いでいるが、ある意味よりエモーショナルだ。365GT4/BBが富裕顧客からいまひとつの評判であったのと対照的である。そもそもこのモデルは北米へ公式には導入されなかったのだが。


そんな難しい時期に誕生した308GTBであったから、その開発コスト圧縮はトッププライオリティであった。であるからその横置きミッドマウント、チューブラーフレーム構造の基本は308GT4からキャリーオーバーされている。ただしホイールベースは2340mmと短縮されているが。
そもそも、このストラクチャーは1967年デビューのディーノ206/246をベースとしているから、フェラーリはたいへん“物持ちが良い”メーカーである。これらの開発に大きく関わったのがピニンファリーナ開発センターのトップであるレオナルド・フィオラバンティである。彼はそういったフェラーリの内情をよく理解しつつ、的確な商品化提案を行った。246GT、308GTBとまったく異なったキャラクターであるにも関わらず、その中身は限りなく共用されている。
きっかけは“ディーノ”から“フェラーリ”へのブランド変更
308GTBでユニークな点はFRP製ボディの導入だ。今や初期のFRPボディ、ドライサンプエンジン仕様は“ヴェトロレジーナ”と呼ばれ、そのピュアなコンセプトから、プレミアモデルとなっている。この308にフェラーリとして初めてFRPが採用されたのはなぜであろうか?
その時期、フェラーリにとっての課題はいかに生産量を上げるかであった。エンジンは内製化できるとして、問題はボディの製造だ。当時、すでにモノコックボディ(フレームとボディが一体化した構造)がフツウの車では生産性を考慮して常識となっていたが、少量生産ハイパフォーマンスカーにおいては車両の剛性確保、少量生産におけるコストの適正化を鑑みて、フレームとボディを別個に製造するという形態が一般的であった。フェラーリはかつてスタイリング開発からボディ製造一式をカロッツエリア(ピニンファリーナ、ベルトーネ)に外注していたが、コストダウンのため、フェラーリの一部門として吸収していた同じエリアにあるスカリエッティにボディ製造をシフトすることを検討していた。
そんな経緯もあり、308GTBの開発においてスカリエッティ内において量産化への研究が進んでいたFRPボディを採用することが決まったのだ。それは低価格で成型型を作ることができ、生産量も需要に応じてコントロールできること。そして当時、スポーツカー(レースカー)へのFRP導入が旬であったという点もあったという。

ところがこのFRP製ヴェトロレジーナは700台(800台ともいわれる)で生産終了となり、コンベンショナルなスチールボディへと仕様変更された。この仕様変更に関して諸説が語られているが、当のスカリエッティにおけるマネージャーによると、その主たる理由はディーラーからのフィードバックのためであったという。つまり、世界各国で、FRPの補修をマラネッロの品質水準で行うことが不可能だったというのだ。そんな理由で、1977年半ばより308GTBはスチールボディへと変更された。
その少し前から308GT4とともに、308GTBはディーノからフェラーリへとブランドネームも変更されている。実際、この308GTBはマーケットからは好意的に受け止められた。マラネッロによると、308GTBは1975年の登場から1977年半ばのスチールボディ化を経てその生産を終えた1980年までの5年間にわたり、2897台をデリバリーしたという。
フェラーリは、量産システムの確立による経営の安定を目的としたサブブランドのディーノを発展的解消した。そして、8気筒エンジンを12気筒のそれと並ぶまがうことなきフェラーリである、というブランディングの確立を遂行することに成功したのだ。その重要なモデルが308GTBなのだ。以降、フェラーリの販売におけるメインプロダクトが8気筒に移り、半世紀を経た現在、再びダウンサイジングし6気筒となっていることを当時誰が予測できたであろうか。さらには、フェラーリが年間1万3000台以上のマーケットを持っていることも……。

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自動車ジャーナリスト
越湖信一
年間の大半をイタリアで過ごす自動車ジャーナリスト。モデナ、トリノの多くの自動車関係者と深いつながりを持つ。マセラティ・クラブ・オブ・ジャパンの代表を務め、現在は会長職に。著書に「フェラーリ・ランボルギーニ・マセラティ 伝説を生み出すブランディング」「Maserati Complete Guide Ⅱ」などがある。
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