フェラーリ テスタロッサ▲1984年に発表された、V12エンジンを搭載するフェラーリのミッドシップスーパーカー「テスタロッサ」。スーパーカー界に“ラグジュアリーでモダンなGT”という現代に通ずるキャラクターを築いたヒットモデルである
 

スーパーカーという特殊なカテゴリーはビジネスモデルとして非常に面白く、それ故に車好きにとって興味深いエピソードが生まれやすい。しかし、あまりにも価格がスーパーなため、多くの人はそのビジネスのほんの一端しか知ることができない。今回は1970年代からのスーパーカーの危機的状況を救ったヒットモデル「フェラーリ テスタロッサ」の生い立ちを探る。
 

危機的状況のスーパーカー界を救った“享楽主義の象徴”

フェラーリ テスタロッサは2024年、生誕40周年を迎え、多くの人々によってその本質に関する様々な分析が行われた。

「テスタロッサの成功は予想以上のものでした。ピニンファリーナで生産されたテスタロッサの生産台数は予想の2倍以上だったのです。テスタロッサは、1970年代の閉塞感を捨て去りたいという願いをカタチにしたもので、1980年代の享楽主義の象徴たる存在でした。そして、その自然な進化が、数年後のハイパーカーであり、フェラーリ F40を誕生させたのです」と、コメントを寄せてくれたロレンツォ・ラマチョッティ。

ロレンツォ・ラマチョッティは、レオナルド・フィオラヴァンティとともにピニンファリーナ・スタディ&リサーチ・センターのオペレーション・マネージャーとして、テスタロッサ・プロジェクト全体をフォローした人物であり、テスタロッサを皮切りにエンツォの時代まで通ずるピニンファリーナ黄金時代を築いた張本人でもある。

ちょっと大げさすぎるのでは? と彼のコメントに違和感を持つ方もいるかもしれないが、それほどに1970年代のスーパーカー界は打ちひしがれていた。その大きな原因は言うまでもなくオイルショックの到来であった。ガソリンが手に入らないのだから、走ることに特化したスポーツカーの存在意義はなくなってしまう。さらに、北米から始まった環境問題への取り組みからスポーツカーは大幅なパワーダウンという洗礼までも受けることとなった。日本でも昭和48年、昭和50年と排ガス規制が強化されていったのは言うまでもない。

スーパーカーブランドの中で最もブランディングを明確にし、販売網を全世界に確立していたフェラーリですら、1970年代初頭はとんでもない状況にあった。メインの北米マーケットに365GT4BB、512BBは導入されず、ディーノ308GT4、12気筒では400系のみの販売という寂しさであった。マラネッロでは雇用確保のためにラインにはフェラーリ以外のモデル、はたまた”車でないもの”までが流れていた危機的状況であった。
 

ロレンツォ・ラマチョッティ▲当時、ピニンファリーナ・スタディ&リサーチ・センターのオペレーション・マネージャーだったロレンツォ・ラマチョッティ

ラグジュアリーなライフスタイルに必須な憧れの1台

そんな状況の中でこれまでとは全く異なる文脈で作られたのが、テスタロッサだ。車名こそフェラーリのヘリテージ由来であるが、そのテーマとスタイリングはフェラーリのコンペティションマシンとはまったく異なったものであった。

「ボディスタイリングは2つの塊から構成されています。キャビンを含む前部は幅が狭く丸みを帯び、後部は幅が広くダイナミックに広がっています。この2つの塊が交差することで、力強いラインが生まれ、サイドが今までにない立体感を醸し出すのです」とラマチョッティは説明する。

つまり、リアが優雅な曲線により大きく張り出すというこれまでのロードカーで見られなかったユニークなスタイリングが完成したワケだ。そしてフロントグリルからサイドのインテーク、リアグリルまでが一体化しているというミニマルな印象も作り上げている。テスタロッサはスーパーカー界に“ラグジュアリーでモダンなGT”という現代に通ずるキャラクターを築き、新しい価値観を提案したのだ。
 

フェラーリ テスタロッサ▲デザインはピニンファリーナが担当。サイドのデザインはラジエター冷却用のサイドスリットが特徴的

パリにおけるプレビューが、シャンゼリゼ通りにあるナイトクラブ『リド』にてダンサーたちとともにアンベールされたという演出もユニークであったし、人気TVシリーズ『マイアミ・バイス』で主人公ソニー・クロケットがステアリングを握るシーンも印象的だ。多くのセレブリティたちが所有し、ラグジュアリーなライフスタイルに必須なモデルとして憧れの1台となり、この流れが前述のようにF40へと続いていった。

512BBの後継であることをみじんも感じさせないようなスタイリングの大変身と比較して、エンジニアリングリング的な基本構造はほぼ512BBそのままであった。フロントからサイドへと移動させたエンジンラジエターを別として。まさに、フェラーリらしいエンジニアリングにおける保守性の表れでもあった。
 

フェラーリ テスタロッサ▲登場当初は運転席側のAピラーだけに装着されていたドアミラーが、1986年の改良で左右に備わっている
フェラーリ テスタロッサ▲テスタロッサは1950年代のレーシングカー「500 テスタロッサ」などをルーツとする由緒ある車名
フェラーリ テスタロッサ▲テスタロッサのインテリア
フェラーリ テスタロッサ▲180度バンクのV12エンジンは512BBに搭載されたものの進化版となる

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フェラーリ テスタロッサ × 全国
文=越湖信一、写真=フェラーリ、Pininfarina
越湖信一

自動車ジャーナリスト

越湖信一

年間の大半をイタリアで過ごす自動車ジャーナリスト。モデナ、トリノの多くの自動車関係者と深いつながりを持つ。マセラティ・クラブ・オブ・ジャパンの代表を務め、現在は会長職に。著書に「フェラーリ・ランボルギーニ・マセラティ 伝説を生み出すブランディング」「Maserati Complete Guide Ⅱ」などがある。